クソ大学生

クソ過ぎる内容故、うんこでもしながら読んでください。

『おっぱい』は一体どこからやって来たのか

 

どうも。NGTです。

 

コロナってやばいですね。あまりにも暇でアンインストールしていたはてなブログをインストールし直しました。



再インストールしたからには刺激的で革新的、啓蒙的で科学的でも文学的でもあり審美的さらには全宇宙的、エビデンスに富んであらゆる悩みにコミットメントし、はたまたファブュラスな香りで程よいとろみがあり、世界からタピオカ店が消え代わりにラーメン二郎が乱立する、そんなブログを書きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまりテーマはおっぱいである。

 

 

 

 

 

 

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""えー先程からお答えしている通りですね、おっぱいとは大き過ぎても小さ過ぎてもいけない、かと思えば大き過ぎても小さ過ぎても良い、そういったですね、そういう事だと考えて、責任を痛感しているわけで、、、あります。"" 

(安倍晋三、国会答弁より)

 

 

 


""We'll make America great again. By the way I love oppai.""

(ドナルド・トランプ、大統領就任演説より)

 

 

 

日米、共におっぱい愛の強い国である事は上記より明らかで、おっぱいの名のもとに法が存在し、法のもとに平等が約束されている。すなわち、法治国家以前におっぱい国家なのだ。

 

 

日米以外でもやはりおっぱいがプライマリーであり、おっぱいの供給が十分であれば世界から核兵器は無くなるだろう。

 

 

過去の偉人達をみても、仏陀は煩悩を取り払う直前に後生だからとおっパブで優勝したし、キリストは右乳首を舐めたら左乳首も舐めただろう。

 

 

現在に至るまで歴史の様々な局面を決定づけてきたのはおっぱいであり、地球が太陽とおっぱいを中心に回っていることは周知の事実である。

 

 

そもそも、『おっぱい』という単語は考えれば考える程奥ゆかしく不思議な4文字だ。

 

 

『おっ』でまず相手を挑発し意識をこちらに集中させる。『ぱ』で相手の懐深くに入り込み即座にアッパー。しかし『い』で相手を優しく包み込み、懐柔させてしまう。さらには『ぱ』と『い』が結合し『ぱい』となることで成熟した妖艶な色気を演出し、ついに『おっぱい』となることによりそのようなエロを超越した"無償の愛"へと到達する。

 

『おっぱい』という単語の持つ魅力はこれだけではない。『おっぱい』という4文字は『お』と『い』という二つの母音、いや"ボイン"に挟まれているではないか。我々は常々おっぱいに挟まれたいと願う。しかし、おっぱいそれ自体がボインなおっぱいに既に挟まれているのだ。この奇妙な現象を"シュレディンガーのおっぱい"と名付けよう。

 

 

 

このようにおっぱいとは歴史、そして全自然現象の根本であり、単語それ自体も洗練され尽くした完全無欠の存在なのだ。さぁ高らかに叫ぼう。

 

 

 

おっぱい!

 

 

 

 

 

 

 

 

それに比べて『ちんちん』とは何と卑怯で下賤なのだろう。

 

打算に忙しく狡知に富んだソレは、人類のあらゆる負の遺産を量産し、世界恐慌のきっかけとなり過去二度に渡る世界大戦を引き起こした。

 

卑しくボロンと垂れ下がり、負けを認めた野犬のように周りに服従した格好であると思いきや、突として遠吠えをするかのようにいきり立ち、しかしその中身は自己顕示欲と虚栄心に満ち満ちていて、謙遜を知らない自惚れた異類異形のモンスターである。

 

 

 

我々はちんちんを持って生を受けたという原罪を背負って生きており、自力救済の道は無い。それ故におっぱいへの信仰を通してのみ、おっぱいからの"無償の愛"を享受でき救われるのだ。

 

 

さあ、おっぱいに祈りそして歌おう。

 

 

 

嗚呼。おっぱい。

 

 

 

 

万歳!おっぱい!

 

 

 

 

VIVA!!おっぱい!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ん?そういえばちんちんを持って生まれてきた私であるが、おっぱいも持っていた。

 

 

 

さっそく計測しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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こちらがご用意した雄っぱいです。

 

 

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110cm

 

 

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90cm

 

 

 

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Eカップでした☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論が出たようだ。

 

 

おっぱいが一体どこからやってきたのかは分からない。

 

 

だが。

 

 

 

バスト110cm、たわわに実ったEカップ

 

 

 

ここに

 

 

 

実在する。

 

 

 

 

 

 

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〜完〜

 

友情のコンドーム

 

どうも、NGTです。

やってしまいました。僕は友を裏切ったのです。

 

 

〜7年前、NGT中学校2年生〜

 

友人A「お前今日誕生日やろ。これやるわw」

僕「こ、これは……‼︎‼︎‼︎」

 

 

僕は14歳の誕生日にコンドームを貰います。

 

 

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さて、皆さんにとって『コンドーム』とはどのようなアイテムでしょうか?

 

 

『避妊具』圧倒的多数の人間がそう答えるでしょう。

 

 

しかし、14歳当時の僕にとってコンドームとは単なる『避妊具』で終わる代物では無かったのです。ある種特殊な付加価値が加わったアイテム。

 

 

もちろんコンドームなんてコンビニやドンキで手軽に買えます。男子校である僕の母校にもコンドームを持ってきて注目を集める人間が多数いました。コンドームに水を入れ、水風船代わりに窓から中庭にぶん投げるだけで昼休み中笑い転げられる幸せな年頃です。

 

 

しかし彼らはコンドームの”本当の使い方”を一切知らなかったのです。ここでいう”本当の使い方”とはもちろん『避妊具』としての使用ではありません。

 

 

コンドームを持ってきて注目を集める人間と同様、僕もよくエロ本等のアダルトグッズを学校に持って行きました。それだけで僕の席の周りには大勢のヨダレを垂らしたクッセェ男子が群がり、文字通りクラスの中心と化すのです。しかし、僕は友人Aからもらったコンドームだけは財布に忍ばせておきました。

 

 

 

 

皆さんにこの意味がわかるでしょうか。

 

 

 

 

『コンドームを財布に携帯している』ことは『セックスを日常とする人間』であるための十分条件なのです。

 

 

 

 

まだピンときませんか?

 

 

 

 

当時の僕らはリア充とは対となる存在。リア充が太陽なら僕らは影。リア充が”舞踏会で踊り狂う貴族”なら僕らは”かわいそうなシンデレラ”。

 

 

しかし僕が財布にコンドームを密かに忍ばせているのを発見した友人は、僕をどう認知するでしょうか。

 

 

こいつ、いつもTENGAとか持ってきた時は見せびらかしてるのにコンドームだけは財布に隠してやがる……さては…セックスしているのか……‼︎

 

 

こう思うはずです。

 

 

友人達にこう思わせた時点で僕の完全勝利なのです。男とは世間体で生きる生き物。実際にリア充なのかは問題ではなく相手にそう思わせたその瞬間、男子校内最大のライアーゲームに凱歌を奏することができるのです。

 

 

すなわち、当時の僕にとって『コンドーム』とは、男子校内にて僕の地位を”かわいそうなシンデレラ”から”舞踏会で踊り狂う貴族”へと昇華させる『かぼちゃの馬車』だったのです。

 

 

 

友人Aからもらったコンドームを財布に忍ばせ続けなんと7年。財布が変わろうとこのコンドームだけは肌身離さず持っていました。このコンドームは友人Aとの友情を思い出させてくれる大切な宝物。

 

 

 

時にはコンビニのレジで1000円札を取り出す際にコンドームが飛び出し店員に苦笑いされました。しかしそんな中でも僕は友人Aとの友情を確かに再確認していたのです。

 

 

 

 

 

ここで、事件が起きます……

 

 

 

 

先日、6人くらいで居酒屋で飲んだ帰り際に、その中の1人が「わりっ。この後彼女の家行くんだけど誰かコンドーム持ってない?w」と言ってきました。キショいですね。

 

 

しかし、千載一遇のチャンス。7年間言いたかったセリフ。本当にこんなチ●ポ野郎にコンドームをあげてしまって良いのかという葛藤を他所に、このセリフを言いたい欲が溜まりに溜まり堰を切ったように僕は言い放ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、もってるけど?」

 

 

 

 

 

 

 

全身全霊のドヤ顔。

 

 

 

 

 

たぶんこんな顔だったと思います。↓

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財布の中からコンドームを人差し指と中指でスタイリッシュ挟み、渡します。

 

 

「サンキュw 助かるわw」

 

 

 

ところが、、、

 

 

念願の行為を果たした僕に待っていたものは満足感ではなく、虚無感。7年間肌身離さず持っていたAとの友情の証を場の勢いであげてしまった圧倒的虚無感。

 

 

それも、コンドームを渡すだけでイキってる自分に対する羞恥とコンドームをくれた友人Aに対する罪悪感を含有する虚無感。

 

 

7年間で僕は気付くべきだったのです。『かぼちゃの馬車』は非リア充しかいない男子校内においてだけ、僕の地位をリア充にまで飛躍させたように見せる代物だという事に。

 

 

僕とAとの友情の証は、あのイキりチ●ポ野郎とその彼女の交じり合った所産として2人の体液にまみれゴミ箱に捨てられたのです_______

 

 

 

 

あれから、目が回るほど美味しかったはずの二郎系ラーメンを食べても僕の心を完全に満たすことはなく、何か大切な人を失ったそんな気分で過ごす毎日。

 

 

只々自分が情けなく、Aに申し訳ない。

 

 

 

 

 

 

あ、そうだ。LINEで謝ろう。

 

 

 

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友情とはクソである。

 

〜完〜